【早見表あり】『丸岡城(霞ヶ城)』の歴史についてわかりやすく振り返る。

2019年3月に『丸岡城-霞ヶ城-』が現存する最古のお城ではないという調査結果が出た。

すでに丸岡城は重要文化財として登録されているが、国宝としての条件が揃わないのだ。

そこに私たちが生まれ育ったこの地元で唯一といっていいほどの自慢のお城の特徴を失ってしまったと意気消沈した。

 

 

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丸岡城の歴史

 

今まで丸岡城は※柴田勝豊が1576年に築いたとされていた。

(※柴田勝家の養子で甥にあたる)

 

織田信長は越前の一向一揆を平定すると、柴田勝家を越前の守護職として一揆を終わらせるために敵を防ぐのに適した豊原に築城を命じた。柴田勝家は柴田勝豊を派遣し豊原城を構えた。取り急ぎの一時的な狭い豊原に城を構えたため、そのわずか1年後に「まるこの岡」に丸岡城を築いたとされていた。

 

しかしながら…

  • 年輪年代測定
  • 放射性炭素年代測定
  • 酸素同位体年代調査

2015年から行われていた、3種類の科学的方法から天守の木材の内容を2019年3月に発表した。

 

その内容はいずれも1620年代後半以降に伐採された木材を使用しているという研究結果が出た。

建築様式や昔の文献を照らし合わせると、丸岡城城主の6代目である本多成重(なりしげ)が造ったとされるのが有力な説となった。

つまり1576年ではなく1620年代後半以降に造られたのが明らかになったことで、丸岡城についで古いとされてきた愛知県の『犬山城(白帝城)』か長野県の『松本城』に最古の座を譲るかたちとなった。

 

城名 国指定文化財 県名
松本城 国宝 長野県
犬山城 国宝 愛知県
彦根城 国宝 滋賀県
姫路城 国宝 兵庫県
松江城 国宝 島根県
丸岡城 重要文化財 福井県
備中松山城 重要文化財 岡山県
丸亀上 重要文化財 香川県
松山城 重要文化財 愛媛県
10 宇和島城 重要文化財 愛媛県
11 高知城 重要文化財 高知県
12 弘前城 重要文化財 青森県

 

ちなみに1934年に一度、国宝保存法(旧法)により丸岡城は国宝に指定されたが

1948年の福井大震災により倒壊。

そのため1950年に文化財保護法(新法)施工により、丸岡城は重要文化財となった。

そして1955年に倒壊材で元通り組み直しされ、丸岡城は再建された。

 

 

丸岡城の造り

 

丸岡城の石垣は『野面積み』という古い形で、自然石を加工して積み上げられた。隙間が多いので排水が良く、内部はしっかりと組み合わさっているため大雨でも崩れない。

 

丸岡城の瓦はすべて石瓦で※葺かれている。大きさは焼瓦の2倍で重さは約5倍ある。そのためお城に厳かな感じを持たせている。
(※葺く-瓦を屋根に覆うこと)
丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかったため、人柱を立てることとなった。城下に住む貧しい片目の未亡人「お静」は、息子を士分に取り立てる事を条件に人柱となる事を申し出た。その願いは受け入れられ、お静は人柱となって土中に埋められ、天守の工事は無事完了した。しかし、柴田勝豊はほどなく移封となり、息子を士分にする約束は果たされなかった。それを怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ回ったという。毎年4月に堀の藻を刈る頃に丸岡城は大雨に見舞われ、人々はそれをお静の涙雨と呼んだ。現在城内にはお静の慰霊碑が残っている。 (Wikipedia参照)
4月に行われる地元の丸岡祭の際は雨が降ることが多かったが…これはお静の涙が関係しているのだろうか。
昔ながらの特徴を備えながら、私たちは現存最古ではなくなった丸岡城をどう”サイケン”していこうか。

丸岡城歴代城主

 

1 柴田 勝豊(かつとよ) 1576~1582年 10 有馬 清純(きよずみ) 1695~1702年
2 安井左近家清(さこんいえきよ) 1582~1583年 11 有馬 一準(かずのり) 1702~1733年
3 青山 修理亮(しゅりのすけ) 1583~1587年 12 有馬 孝純(たかずみ) 1733~1750年
4 青山 忠元(ただもと) 1587~1600年 13 有馬 允純(ますずみ) 1750~1772年
5 今村 盛次(もりつぐ) 1600~1612年 14 有馬 誉純(なずみ) 1772~1830年
6 本多 成重(なりしげ) 1612~1647年 15 有馬 徳純(のりずみ) 1830~1837年
7 本多 重能(しげよし) 1647~1649年 16 有馬 温純(はるずみ) 1837~1855年
8 本多 重昭(しげあき) 1649~1676年 17 有馬 道純(みちずみ) 1855~1869年
9 本多 重益(しげます) 1676~1695年
14番目の有馬誉純が丸岡藩主の中で最も優れた人物で幕府の要職において治績が多い。
また文化元年1804年に藩校平章館(現在の平章小学校の前身)を開設するなど教育の振興にも貢献した。

一筆啓上

 

本多作左ェ門尉重次(ほんださくざえもんのじょうしげつぐ)が長篠の戦いの最中、家族あてに

「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」と書き送った手紙が有名だ。

文中は「火事には気を付け、唯一の男子であるお仙を病気にさせず、戦場で使用する馬の世話をしっかりしてほしい」という意味となる。

お仙とは重次の長子である本多飛騨守(ほんだひだのかみ)のことだ。

彼は後の初代丸岡藩主となる。

これが今もなお『日本で1番短い手紙 一筆啓上』として地元で親しまれている。

姉妹城

 

Marksburg Castle, Germany

 

1989年4月8日、丸岡城とマルクスブルグ城は姉妹城として提携された。

 

マルクスブルグ城とはドイツ、ラインラント=プファルツ州のブラウバッハに建つ城。ライン地方の城の中で戦乱による破壊を免れ、中世の面影を残す唯一の遺構である。 (Wikipedia参照)

 

まとめ

 

平章小学校の卒業生として丸岡城を重要文化財として守っていきたい、そういった気持ちから記事を書きました。

大震災での倒壊や最古ではなくなったことから、国宝まで遠くなってしまった気がするが

私たちにとって丸岡城が地元のコクホウであることには違いない。

 

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