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『命より大切なもの』と考えることは間違っているのか?

 
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Haruki
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命よりも大切なものがありますか?という問いに『妻』や『子供』あるいは『心』や『精神』と考える人が多いだろう。必死で生んだ子供や自分のプライドや信念というのは基本的に自分が死んでも生き残るもので確かに大切な要素だと僕も思う。

 

板垣退助という偉人を知っているだろうか。彼は1870年代に世の中の『身分制度』に疑問を呈し、学校を作り【自由民権運動】を始めた。そして、あの有名な『板垣死すとも、自由は死せず。』という言葉を最期の時に残したと言われ、彼の信念から『自由』というのは命よりも大切なものであったと考えられる。

 

命よりも大切なものという言葉。

 

でも僕は『命よりも大切なものはありますか?』という問いには正直『ない』と答える。根本的に大切なものがないという訳ではない。大切なものは?と聞かれれば、自分の好きな人や人生転機となった本や場所を答えるだろう。ないと答える理由は『命よりも』という言葉に疑問を持っているからだ。

 

 

そもそも命を考えるときにまず初めに皆さんは『自分』を考える。命=自分つまり、自分よりも…と考えて大切なものを考える。しかしながらこの考え自体が主観的であり、客観的に考えると命というのはすべて平等な大切なものであり、その価値を決めることはできないプライスレスなのだ。

 

命は大切な何かの比較対象にならない。

 

命を比較対象にしてはいけない。あなた生きた今日という日は、昨日亡くなった人がどうしても生きたかった明日だ、という言葉がある。【大切なもの】の為ならしねるなんてその人に言えるだろうか?いや言えない。『わが子』が命よりも大切だと考えた人もわが子はそもそも生命だ。やはり命は比較対象にするべきではないと思う。

 

そもそもが『守るべきもの』として命よりもという言葉を使いがちだが、大切なものの為に自分の命を引き換えにしてしまったら今後どうするのか?自分という存在がなくなってしまうのでそれ以降は守れない。正直僕は矛盾しているようにも感じるのだ。

 

 

命は一つ一つが大切であり、唯一無二の存在だ。代用はない。僕たちが仮に大切なものを語るときは例えば『人生でかげがえのないもの』や『生きる意味を教えてくれた』などの言葉を使用するのが適切ではないだろうか。

 

まとめ

 

僕たちは今、死というもの感じないまま人生を謳歌している。僕たち若者は命ある限り楽しく生きようや一生懸命全うしようと思える。しかし死を感じるとき命を知るように今、最後の時を迎えようとしている人のほとんどは命を恐怖や不安といった言葉で表すのではないだろうか。命よりも大切なものを考える前に、僕たちは命の尊さを考えなければならない。

 

 

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